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Eiko & Koma at the St. Marks Church in east Village

舞踏というと暗黒舞踏という言葉が頭に浮かんでしまうのは私だけだろうか?
そして私の持っている暗黒舞踏のイメージを変えた人達の中には、土方巽、大野一雄、そしてこのエイコ&コマ

映像、写真で見る土方巽の初期の舞踏は、どちらかというと土着民族的な踊り、それは日本のモダンダンスの石井ばくの初めの作品に近い。というか似ている。(ドイツ表現主義あたりからの)もちらんそこから60年代、70年代と舞踏も変わってきたので、暗黒という名前が付くようになったのだろうが・・・それは又の機会に書くとして・・・
花柳すずしさんの作品で、土方の声をレコーディングした物(これは彼の最後のレコーディング)を使った作品を見たが、そのときの声はもう狂っているとしか言いようがない。もちろん彼の書いた「病める舞姫」を読むと打ち砕こうとして出てきた物が彼にとっての舞踏だと言うことが少し理解できる。彼の時代の人はたぶんにエッジがあるように思う。戦争が終わり、社会に反発するかのようにでてきた文学、舞踊、音楽それらの物には、どうしてか、今はあまり見ないハングリー精神があり、オールドスクールと呼ばれるかもしれないが、私は好きだ。やるしかなくやってきたという感覚、やはりこの時代を超してきた人達には、一つと筋の通った物が感じられる。

70年代の後半に「舞踏」という言葉がダンスシーンではかなり話題になった。ダンスの中の「舞踏」ではなく、「舞踏」という一つのジャンルができあがったかのようだった。
その中で、エイコ&コマはとても重要なパートを取った舞踏のグループだ。そして今回のパフォーマンス「Death Poem」と題した50分ぐらいの作品。エイコ&コマの作品は、たぶんにエイコが水に中に寝ていたり、何かの上に横たわっていることが多い。今回は宇宙(おそらく)をイメージした床(ステージの部分はこのデザインの床がひいてあった)の上に、バレエのチュチュのあの網編みの布を青く染めてあり、それが真ん中にかたまっていて、その上にエイコが寝ている。そしてその上には日本で言う茅(蚊よけ)のような物が浮かんでいる。それがはずれてしばらくするとコマさんがでてくる。普段のコマさんを知っていると、このようなパフォーマンスで見るコマさんが何とも言えない可愛く見える。もちろん普段もだが・・・そしてその宇宙をコマさんが歩き、エイコが真ん中からある場所まで身体を足で押して、はって動いていく。これが2度ほどあり、最後にエイコが祭壇(この場所は教会なのでちょっとした祭壇がある)の方に行くと前の方からコマさんがろうそくの光を持ち入ってきて、それを祭壇近くの床に置きエイコの近くに行き、最後二人のエネルギーが一緒になるかと言う所で終わる。

彼らはとてもゆっくりと動く。そしてその一コマ一コマが色々なイメージと結びつき見ている人にいろんな感覚を味わせる。もっと早く動いたらどうなるか?とか、エイコが持って目を開けたらどうなるか?とか考えてしまう私はちょっと邪道だろうが、でも彼らの作る世界に引きずり込ませれる。70年代のはじめに日本をでて外国に来た彼ら、今に至るまでにはいろいろな苦労もしただろうが、今は本当に自分たちの表現したいことをやっている感じがした。
by miki3lotus | 2005-06-26 13:59 | 舞台・劇場・芸術
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