今週は2冊の本の出版記念のブックサイニングとパーティーがあった。
一つは先日もエントリーしたActs of Lightと言う本のブックサイニング。 7時から始まったこの会はこの本に写真が載っているダンサーのうち2人が話をして、そして写真を撮ったジョン・ディーンさんそしてそのお姉さんであるナン・カノさんが話をした。 その後、私がグラハムのソロ「Lamentation」を踊り、クエスチョン&アンサー、ディスカッションに移り、最後にサイン会となった。 いつものブックサイニングだと、この100〜120人ぐらいはいることの出来る部屋はやや半分ぐらい埋まっていればよい方だ。もちろんライターが誰かにもよるだろうが・・・今まで、私が行ったことのあるサイン会はほとんどが半分ぐらい。でもこのサイン会当日、6時半頃から席を取るために人が入り始め、満員、そして立ち見も出るという大盛況に終わった。 話をした2人のダンサー、私、そして後数人この本にも載っているダンサーがいて、それぞれがサインをして・・・8時には出ないといけないはずのこの部屋、終わって時計をみたら9時。 沢山の方に来ていただけて、嬉しかったです。ありがとうございました。 そしてもう一冊は画家佐々木健次郎さんの4冊目の本の出版記念パーティー。 「これがアメリカの現代アートだ」(里文出版)「アメリカ絵画の本質」(文藝春秋)「ニューヨークと美術」(里文出版)の後に今回出版されたのは「日本文化ニューヨークを往く」。(ちなみに157ページには”マーサ・グラハムと日本人舞踊家たち”と題して私のことも書いて頂いております。) 私が佐々木夫妻と出会ったのはかれこれ1980年頃。 コントラバス演奏家の三浦さんと奥さんの小野マリさんが始められたMusic from Japanのお手伝いをしていて、カーネギーホールのロビーで受付をやっていた時のことだった。 そのとき以来懇意にしてもらい、食事やパーティーに誘ってもらったり、踊りやその他の舞台を一緒に観に連れて行ったもらったり。出世払い・・・も出来ておりませんが・・・頭が上がりませんが・・・ ニューヨークにいて、私の踊りを始めから観てくれているお二人。父、母よりも私の踊り手としての姿を見ていてくれている。そして誰よりも私の踊りの厳しい批評家であります。 踊りをこのままやっていこうか、やめようか悩んでいた時も、やっと大きな舞台に立てることになったときも私のニューヨーク生活の中でなくてはならない存在の佐々木さん夫妻です。 佐々木さんのことは後記で読んでもらうことにして、今日はそのパーティーを。 このところ、カンパニーの仕事で出入りが多く、とてもご無沙汰していたので、今日のパーティーでは久しぶりに会う方々がいて嬉しかった。写真には写っていませんが、本当に沢山のアーティストの方々が見えておりました。 本当に何年ぶりかしら・・・ そしてもちろんこれは佐々木氏とのツーショットというのですね。日本では。 奥様の洋子さんとは撮れなかったので残念でしたが・・・いつも忙しく、パーティーに尽くしておられました。 佐々木さんの本はどれもニューヨークでどのように日本のと言う物が受けいられているかを知るとても興味深い本です。 日本文化の波を見据えて 在米41年の観察、後世に 「日本文化ニューヨークを往く」 発行:東京キララ社 過去にアメリカ美術に関する3冊の著書を出しているニューヨーク在住の画家・佐々木健二郎さんが、今回は視点を変え「日本文化ニューヨークを往く」と題する著書を上梓した。 1965年から世界の中心地ニューヨークに滞在して41年、ますます活発になる日本文化の進出を、時に冷静に、時に誇らしく、じっと見つめ続けてきた日本文化進出ウオッチャーの佐々木さんの本領発揮の1冊である。時系列で並ぶトピックスは、60年代末の日本映画、クラシック音楽から現在のアミユミのパフィ、村上隆の「リトルボーイ」までと、ニューヨークに押し寄せる幅広いジャンルの日本文化はそのまま「現在の日本文化」が持っている豊かな多様性を知らず知らずのうちに物語っていて興味深い。 宮城県仙台市出身で東北大学教育学部を卒業。小さいころから絵が大好きな少年だった。しかし、小学校時代の記憶は戦争の記憶に直結する。終戦を迎えた時、小学校3年生だった。多くの級友を戦火の中で失った。故郷の仙台も激しい空襲を受け焼け野原となった。 「あの戦は本当にひどかった。焼夷弾の直撃を喰らって多くの女こどもが死んでゆくのを目撃しながら逃げたんです。天皇陛下万歳なんて言うのはいなかったなぁ。みんなお母さんって言ってた。まだ耳に残ってますよ」。すべてを焼失するまで佐々木家は魚問屋として羽振りもよく、映画に凝っていた父親は、自分でも映画を回して制作するような趣味を持ち、目玉の松ちゃんの映画を映画館から借りてきて近所の人たちと上映会を開くような人だった。 大学2年生の時「河北展」(河北新報社主催の美術展)に初入選。画家として身を立てようと真剣に思い立つ。しかし画家で生計をたてるのは大変なこと。同じ大変なら世界の最強国アメリカを見てみたいとの思いがつのる。しかし当時は簡単に渡航出来る時代ではなかった。また、当時はアートを目指すものにとっては、まだまだパリの人気が高かったが、前からアメリカに強い関心を抱いていた佐々木さんは、日本の各地に出来ていた米国務省の出先機関「アメリカ文化センター」に足繁く通いアメリカの最新情報をこまめにチェックした。ビート文学やフルクサス運動、アンディ・ウォホールに代表されるポップアートに関する最新情報を、センターに届いたばかりの新聞や雑誌で貪るように吸収した。ポップアートの存在を知り「そうか、漫画でもアートになるのか」という強い衝撃を受けたという。 一所懸命、奨学金を出してくれそうな留学先を探した。当時の外貨持ち出し限度は500ドルまで。1ドルは360円。飛行機代は東京=ニューヨークの片道が18万円だった。ほとんど年収だった。 晴れて北米大陸の地を踏んだのは28歳の時。1年間の予定でメキシコのガナファト大学インスチチュート・アジェンデに留学した。メキシコシティーから急行バスでも4時間くらいかかる小さな街だった。そこでリトグラフを専攻し修士号を取得。「英語は今でも苦労してるけど、スペイン語は日本語のべらんめい口調に似てるのね。英語よりはマシだった。コメのことアロスって言うんだけど、真ん中のメロモがね、江戸弁のように舌を巻くの。あれは英語国民には無理」と流暢な発音を披露して笑う。 メキシコでの1年間の留学が終わり、ニューヨークに行こうと決意する。しかし、ニューヨークには知り合いは全くいない。無謀だったが、若さは何とかなるというしなやかさを持っていた。運良くメキシコシティーで知り合った竹田鎮三郎氏が「ニューヨークに版画家の友人が住んでいる。尋ねてみたら」と紹介状を書いてくれた。メキシコからニューヨークまで汽車で3日間の旅だった。テキサス州のラレドで国境を超え、ニューヨークのペンシルバニア駅に3日かかってたどり着いた。忘れもしない1966年の8月1日、暑い暑い日だった。 竹田氏が紹介してくれた版画家というのはすでに名声の高い木村利三郎氏だった。紹介状を恐る恐る出すと「竹田の紹介じゃ断れないないな。どうせ泊まるとこないんだろ?」。「はい」。「じゃ泊まれ」ということでその日から木村氏宅にやっかいになる。 やがて石版画の「バンクストリート・アトリエ」に就職。永住権もここで取れた。弁護士に勧められるままに、徴兵登録も長蛇の列に混じって済ませた。ちょうどベトナム戦争は泥沼化の様相を呈しているころのこと。一歩間違えば、戦地に送られる危険もあったが、幸いに言葉の壁、30歳という年齢、視力が弱いなどの理由で、低い査定をつけられて入隊を免れる。 それから40年、画家としてニューヨークのアートシーンに参加しながら日本語新聞「JOPジャーナル」を発行していた時期もある。旺盛な好奇心、画家の眼、ジャーナリストの耳で、アメリカの文化と、ひときわ活発になった日本文化進出のウォッチャーとして、ソーホーのロフトから足掛け42年に渡り眺め続けてきた。 整理の行き届いた広いアトリエの収納スペースには、長年ニューヨークで発行されてきた「OCSニュース」や「JOPジャーナル」がほぼ完全な形で保存されている。 佐々木さんは、日本人の好奇心を高く評価する。「日本人は興味・関心を持つと自分でやってみようと異国の文化を取り入れてきた。日本には世界中の食文化が溢れ、テクノロジーだってそうですね。物まねと言われることもあるけど、やっぱり自分でもやってみよう、作ってみようという行動力のある好奇心が向上につながっているんです。そこにはオリジナリティがあるんですよ」。 佐々木さんの、粘り強く丁寧な観察は、後世の日本人研究者に大いに活用されることだろう。現在NY宮城県人会会長。ソーホーに洋子夫人と二人で暮らしている。 (塩田眞実記者) 主な著書: 「ニューヨークと美術」(90年 里文出版) 「アメリカ絵画の本質」(98年 文春新書) 「これがアメリカの現代アートだ」 (02年 里文出版)
by miki3lotus
| 2007-02-05 13:32
| 舞台・劇場・芸術
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